翻訳と辞書
Words near each other
・ 国民協成同進会
・ 国民協成進歩会
・ 国民協議会
・ 国民協進会
・ 国民参与党
・ 国民及び職員からの意見聴取
・ 国民同志会
・ 国民同志賛成会
・ 国民同盟
・ 国民同盟 (イタリア)
国民同盟 (スペイン)
・ 国民同盟 (日本)
・ 国民同盟会
・ 国民同盟党 (パプアニューギニア)
・ 国民和解のための大会議
・ 国民和解党 (モザンビーク)
・ 国民哀悼の日
・ 国民啓発・宣伝省
・ 国民啓発宣伝省
・ 国民啓蒙・宣伝省


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

国民同盟 (スペイン) : ミニ英和和英辞書
国民同盟 (スペイン)[こくみんどうめい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くに]
 【名詞】 1. country 
国民 : [こくみん]
 【名詞】 1. national 2. people 3. citizen 
: [たみ]
 【名詞】 1. nation 2. people 
: [どう]
 【名詞】 1. the same 2. the said 3. ibid. 
同盟 : [どうめい]
  1. (n,vs) alliance 2. union 3. league 
スペイン : [すぺいん]
 (n) Spain, (n) Spain

国民同盟 (スペイン) : ウィキペディア日本語版
国民同盟 (スペイン)[こくみんどうめい]

国民同盟(、略称AP)はスペインにかつて存在した保守政党。フランコ体制終焉後の民主化移行期にフランコ体制期の閣僚たちによって創設された。当初は政党の連合体として設立されたが、後に政党に転換した。
1989年中道、民主主義、自由主義を掲げる諸政党を吸収し、現在の国民党として再創設された。
== 党史 ==

=== 創設 ===
1976年10月9日、マヌエル・フラガ・イリバルネフェデリコ・シルバ・ムーニョスラウレアーノ・ロペス・ロドークルス・マルティネス・エステルエラスリシニオ・デ・ラ・フエンテゴンサロ・フェルナンデス・デ・ラ・モラエンリケ・トマス・デ・カランサらが率いる7つの政治結社が合流する形で結成された。7つの政治結社のリーダーは、いずれもフランコ体制の有力政治家であった(この7人のことをマスコミなどでは"los siete magníficos"(偉大なる7人の意)と名付けた〔ちなみにこのLos siete magníficosとは有名なアメリカ映画The Magnificent Sevenのスペイン語タイトルである。日本語題名は『荒野の七人』である。〕)。1976年政治改革法成立に際しては、賛成に回り、同法成立の原動力となった。
* - 情報・観光観光大臣(1962年-1969年)、副首相兼内務大臣(1975年-1976年)を歴任したマヌエル・フラガに率いられた。
* - 計画・開発大臣(1973年-1974年)、教育科学大臣(1974年-1976年)を歴任したに率いられた。
* - 公共事業大臣(1965年-1970年)を務めたに率いられた。
* 社会民主(Democracia Social) - 労働大臣(1969年-1975年)、副首相(1974年-1975年)を務めたが率いた。
* - 国務大臣(1965年-1967年)、計画・開発大臣(1967年-1973年)、外務大臣(1973年-1974年)を歴任したによって率いられた。
* 国民社会連合(Unión Social Popular) - エンリケ・トマス・デ・カランサ代表。
* - 公共事業大臣(1970年-1974年)を務めたに率いられた。
この7政治団体を中心にその他の中道右派の中小政党が加わって誕生した。
1977年3月5、6、7日、国民同盟は諸政党の連合体が参加して、その創設党大会を行った。党大会議長にはが、副議長にはが就いた。党大会ではスペイン民主行動のフェデリーコ・シルバ・ムーニョスが党代表に、民主的改革のマヌエル・フラガ・イリバルネが幹事長に選出された。同時に、スペイン民主アルテルナティーブとスペイン国民連合を除く、すべての参加政党(政治団体)は解党した。スペイン内務省の政党登録には国民同盟の結党日は1977年5月4日で登録されており、この日が後継政党である国民党の創設日ともされている。
1977年フランコ体制終焉後の民主化期初の総選挙が行われ、国民同盟は1,526,671票(8.34%)の票を獲得、下院議席16、上院議席2を獲得した。ナバーラではの候補者を支援、カタルーニャでは、の支援を受けて結成された選挙連合(Convivencia Catalana)を支援、ギプスコア県ではファランヘ党の支援を受けたを支援した。
1978年1月国民同盟第二回党大会が開かれ、国民同盟統一党(Partido Unido de Alianza Popular、PUAP)という名称での再結成がおこなわれ、スペイン民主アルテルナティーブとイビサ・フォルメンテーラ自由党も協力政党として名を連ねた。フェリックス・パストールを党首に選出、マヌエル・フラガは幹事長に再選された。
1978年10月31日下院での新憲法案に対する採決では、国民同盟所属議員のうち9人が賛成、2人が棄権、そして5人が反対票を投じたにもかかわらず、国民同盟としては同憲法案についての国民投票(Referéndum para la ratificación de la Constitución española)については同憲法案への支持を求めた。このことによってスペイン民主行動は国民同盟から離脱し、また、ゴンサーロ・フェルナンデス・デ・ラ・モラはスペイン国民連合の党首の座を辞した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「国民同盟 (スペイン)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.